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むぎめ!!とは・・ 「豆乳飲料 麦芽 コーヒー風味」  おいしいよ  
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主人の四十九日の法要も終わり、実家の母たちを見送り
再び入院生活。
レントゲンの結果、バストバンドは外れ、三角巾のみ使用
足は現状維持。装具は2ヶ月間、10月7日頃まで使用と言われる
バストバンドが外れる、ってことは右上肢のリハビリが始まる

まず持って、肘が伸びない。先生に言われた、振り子運動がマジ痛い
こんなにも自分の腕って動かないんだとショック
診察台に寝て、右上肢のromを行う。この日から午前午後とも上肢のリハのみ
徐々に関節延びて言ってますよ、と励まされながら鈍痛と戦いながらの訓練

そういえば、長男は小学生の時右上腕の骨折、次男は15,6歳の時右下腿骨折
いずれも1ヶ月そこらで治癒しなかった? リハビリで苦労してないよね
そんなに通院してなかったし
と思いながら自分と比較してみる。
やはり、年ですか・・

肩は結構複雑な動きするので、いろいろな動作を繰り返し行うんだけど
理学療法士さんも難しいですよ、と言われる
自分ではどこまで回復していっているのか、どのような状況なのか
娘に言うも「私、肩のリハビリ受け持った件数少ないから」とスルーされた
まあ整形外科でなければ、あまり症例ないのかな

一日のリハビリが終わった後に、しばらく使ってなかった湿布を取り出して
肩に張っています
週末はリハビリはお休み。ふりこ体操と浮腫てる指の運動を勧められた。
21時消灯だわ。
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じっと我慢の安静期を過ぎて
レントゲンの状態見ながら、右足荷重の許可が出た!
車いす自走や移乗は出来て、あまり介助を依頼せずに
それまでやってこれたけど脱、車いすは嬉しい

本格的なリハが始まって担当の先生が迎えに来てくれる
当然リハビリ計画書もあってサインしました

初めてのリハビリは、荷重訓練
アナログな体重計を二台ならべて乗る
で、足踏み
患足にどれだけ体重がのるのか練習
意外と最初は1/4とかで、先は長い
それでも毎日2回リハビリをして
(やはり回復期病棟だからなのか、
通常は1回だよね)
ステップアップして
平行棒の中での歩行練習、松葉杖の歩行
松葉杖で階段昇降と、一般道路歩行と練習重ねました

そして9月2日と3日 一泊二日の外泊許可をもらい
再び家に戻りました

この時は本当に我が家で自由という気分味わいました
自爆事故なんだけど
幸い転倒の仕方が良かったためか、頭部打撲もなく
整形外科患者となった
骨折2カ所ともズレや粉砕がないため、保存療法がとられた
かといって、自宅療法ができるわけでなく、
本当に右麻痺状況
それがどんなに悲惨だったのか、8月21日 負傷から2週間たった日に

どうしても必要に迫られ。自宅へ外出したときに思い知らされた
車いすで迎えの車に乗るは可能
しかし玄関段差からすでにハードル高く、この段差をいかに越えようか
四苦八苦した
3階建ての2階スペースまで、お尻で這う。そしてキャスター付きのイスで
部屋を移動というまさしく修羅場だった

状況によれば、却って手術して骨を固定すれば、荷重をかける事も早々にでき
まさしく2週間で退院もあり得る
のではないか、と自分を比べて考えた(だけ)

6週間という入院で、急性期病棟2週間、包括支援病棟4週間
レントゲン見ながらのリハビリのステップアップは確実なんだけど
自分の子供の骨折の時を思い出して

年齢を考えると時間も費用も身体的苦痛も
比較ならないぐらい重い

たったほんの数秒の判断ミスで
このような結果になって
周囲に迷惑かけてると思うと

いやそれよりも職場復帰後も以前のような動きが取れないとなると
と考えると、ますます鬱になりそう
主人のがん治療について
詳しい記録を付けていなくて
気おっ雲おおざっぱなのだけど

今転換期に来ている
それは、積極的治療を行わない
と意思表示したから


肝臓のがん摘出術を行い
その後CTによって残存した腫瘍が大きくなってきている
その結果で化学療法が始まった

2016年から
ベクティビックス
アバスチン
カンプト 
薬をかえながら実施したけれど
7月にカンプトで甚大な副作用を起こしてしまい
7月13日救急入院
白血球が500まで減少していた

白血球を増やすという皮下注をして
回復したけれど

この時が過去のいかなるしんどさよりも一番つらかったみたい

その後科学療法はやめて経口の
抗がん剤へ変更した

9月スチバーガ
血圧が上がるとか副作用よりも
皮膚と手足症状が強く出始め
そのためのケアも大変
本人があまり苦痛をいわないけど
しびれやそのほかの症状はでていたのかも


見かねて中止して ロンサーフに変更してもらった
そして今に至る

今年に入って
主治医から再度化学療法の再開を勧められている

主人は断った
そして今日の診察では時系列の検査データーを渡された

私も勧めた
「これが最後のチャンスかもしれない」
「今を逃すと手遅れとなる可能性がある」
しかし
答えは同じだった
3月は、ほぼ安定した毎日
で、宝塚に2回ほど観劇に行ったりしてる
(やはり、行きたいですよ~)


そんな穏やかな日々でも
3月は6日に抗癌治療の3回目を行い
19日に4回目の治療で
主人の肌は、湿疹で見た目が
すごくかわいそうな状況

かゆくてたまらない、ということはないので
掻きむしって流血状態にならないでよかった


途中心療内科に行ったり
ウロ受診があったりと病院通いは
もう仕事ですか、って感じで
窓口に支払う、治療費に一喜一憂している

第1週目のケモの料金が、88000円だったので
第3週目は、その半額?ということで驚きだし
同月再診ウロも数千円で(腎瘻バルーン交換)
この料金の差は何?

1か月内で2度目の治療となると
管理料などは取れないとしたら
本当に月がまたがってなくて良かったとしか
思えないよ


さて、26日の受診で
主人の際手術が決定

4月2日 術前の説明
4月7日 入院
4月10日 手術


前回手術予定だった
「回腸導管術」とやらを行うのか
そしてがん部分の摘出

めちゃくちゃ侵襲大きいだろうなあ
抗がん剤が行き渡りかなり病巣が限られていることを
願って・・・・
月曜日に入院
火曜日の夕方行くと、チューブは抜かれていた

早々に抜去できてよかったけど
本当は必要なかったんじゃない?と思う

そして翌日は、胃カメラの検査が入っていた

まあこの際、入院中に検査してもらってよかったと
私は思うのだけど
チューブ挿入されてしんどい思いしてる主人は
また別の思いがある

翌日は、雨が降ってお見舞いに行けないので
電話で状態を聞くと
「胃カメラは、どうもないと言ったけど
先生が日程を調整しなくてはいけないな、と
言っていた」

その後「何の日程かな?」
「退院日のことかな?」


ゆたにいが帰ってきたので
そのことを話すと・・
「日程と言えば、手術のことじゃないか?
ふつう、退院のことはそのように表現しないのではないか」

となると・・
考えるよ
主人の体調のこと
今回の腹痛の原因から、がんの転移から
いろいろと・
先生の頭の中では、手術が早まるのか
遅くなるのかどっちなんだろう、かと

26日は、仕事休みなので
早々に面会
今日は主人の希望でパウチの交換を済ます

この日は、市役所と税務署に行くため、いったん帰宅
そして、長らく行っていなかった美容室にも行きたい
すべて終わってから、また来るねと約束

そしたら、結構時間がかかって
美容室に行った時間が、15時前
すべて終わったら18時を過ぎてた

それから主人の元へ
美容室から直行
途中、あまりに遅い私に連絡していた
すまん

今回の入院は、腹痛がおさまれば
もう身体的には、ふつう

仕事帰りにお見舞いに行ったとき
たまたま先生に会って
退院のことをお願いした

仕事の関係上、日曜日を指定
木村先生も、今回は腸が捻じれての閉塞だったが
今は通っているし、
カメラも異常なかったので退院OKとのこと
ちょうど1週間、本当にお世話になりました
先生の説明を聞いていたら
先日の「日程調整」の話は、別に深い意味がありそうにもなく
私の考えすぎ
あまり、先生の言葉を意味深にとらえないように
しよう・・と反省
自分がしんどいもん

土曜日は、来なくていいけど
日曜日は、9時に来てなんて
無茶を言う


3月2日 日曜日
まあとにかく早々にお迎えに行く
なんせ救急車で運ばれたから
靴から服まで忘れないように思ったら
アンダーシャツ忘れちゃったよ

迎えのタクシーでのおっちゃんは
労災病院が、日曜日に退院を許してくれたね
と不思議がっていた
まあ、私も入院の清算はできてないので
よく許してくれたと、思っている

すべて、かたずいて
退院指導を受けて帰宅
退院指導書もらったけど
ろくに読んでないや
でもありがとうでした


家に帰ってから、主人もさすがに入院の後半になると
憂鬱になって、早く帰りたいとい言っていた
それだけ、体力回復していたんだけど
救急車で運ばれた時はどうだったのかと聞く

だんな
「覚えていない。。
ひどい腹痛で、痛みどめしててもほとんど効果無いし~
そのうえ、どこが痛い?とか
お腹を押さえられて思わず嘔吐した」

だんな
「先生にも汚してしまったんじゃないかな~
2回嘔吐したの覚えてる」


「だから、鼻からチューブ入れられたのかもね」
でも、すべて嘔吐して出してしまっていたから
チューブからは、なにも出なかったみたい
せっかくしんどい思いしたけど、無駄だったね」

だんな
「チューブ入っていた時は、口の中が乾いて
でも絶飲食で、本当にしんどかった・・・」


脂汗が出るほどのお腹がいたいのも、
あのひどい口渇も
「最悪だ」の言葉とともに
ひとまず終了


3月5日はケモの日
この日は雨
たくにいが休みで、朝から主人を病院に送ってくれる
ついでに私も職場へ
ありがとう!

帰宅した主人は、いつものように首から
ビンを下げている
今回は、早くて12時半に終了だそう

そして、この日は
入院料と外来受診のため、22万ほどの支払い
外来では約8万のため14万近くの入院料か
ほとんどが個室代金なので、
今回の治療費は、本当にありがたい金額だと思う
主人の再入院にショックをうける
しかも、救急車で搬送というおまけつき

以下たたみます
2月20日  15時泌尿器科
30分ほど早めについて
まずは検尿検査からスタート

採血などする検査窓口で
順番待ち

この時間は、採血より泌尿器科からの
検尿検査が多いようで順番を示すモニターには
ほとんどカウントされていないけど
割と多くの人が待ってる

そこへ、ちょっと派手なツーピース着た
30過ぎの女性(宝塚あたりでよく見かけるなあ)
ヅカヅカと受付カウンターへ身を乗り出すと
始まりました

マシンガントーク
はい、クレーマーです
一瞬、周りは静かになり
女性の話を耳ダンボになって聞いてます
彼女曰く
「私は、診察に良いように検尿をするため
検査を出しました
でも20分たってもそのままで置かれていたんです
これはどういう事ですか?
おしっこは時間がたつとどんどん変化するんですよ
刻一刻と変化していくものをそのまま
20分も置きっぱなしにして
それで正常な検査ができるというのですか
再提出なんて
私はもうおしっこは出ませんよ

(ここまで聞いて、正直あほくさ、って感じだったね)

ここ労災病院はそのことに対して、どのような考えをしているんですか
責任者を出して聞かせてください
院長をだせ」
(わお、大政さんの娘かな?)
ここで責任者、というか看護師さんがでてきたよ

「ここでは、なんですからあちらで・・」

「いいえ、ここにいる皆さんにも聞いていただきたいわ
私の言ってることはまともでしょう?
私は同業者ですから、こういったことは知っているんです」
(おや、茄子かな・・だったらそんなに細かいこといわんでも
状況見たらわかるじゃん)

でもって、ぎゃんぎゃんわめいて、責任者の言葉は聞かない
業務は停止状況
待合の人はめんどくさ~という雰囲気

そんな中、一人のおじさんが、カウンター占領してる
女性に「あんたじゃま」と言って受付すると
女性もハッとして言葉が止まった
そこを責任者が裏に連れて行こうとしたとき

言ったのよね
「私は医者です」


私思わず、ぷ
周りもクス、というか肩揺れてた

いや~・・まいったね

その後レントゲン室へ
21番前で待つことに
約束は15時半だったけど
あらら、ランプついて処置中
でもって、まだ一人先客がいる

16時近くになってやっと、終わったみたいだけど
先の人がいるから、遅くなるねって
主人と話していたら
看護師が、その人に
「予約の患者さんがいるのですまないが
もう少し待ってくれ」と頼んでいた

どうやら飛び込みの新患らしい

年配でずいぶん待っていたようで
気の毒だったけど、順番を譲るようなわけも行かないので
さっさと主人は中へ

ふらふらで出てきて、このまま清算へ
今日は終わった
すでにエスカレーターは止められていたよ


今日は、腎瘻カテーテル抜去して
留置バルーンに変更していた
瘻孔をおおきくするためブジーを何度も挿入されたようで
局所麻酔していてもかなり痛かったらしい
確かにごつい血尿出てるよ

こういう話をきくと
これが本当に闘病だね、と思う

で、ヒソヒソと主人が言うには
主人の処置が終わったあとあの先生は会議があるから
後はよろしく、って抜けて行ったって
では、最後まで待たされているあの患者は
誰が見るの?
若手の先生に押し付けた、いや
頼んでいったの?
労災病院に行ったら、万全の医療が受けられる
ってわけにはいかない、裏があるんですよね


帰宅してしばらくして
主人の会社の人が来ました

長期休暇をしているため雇用のことで
しっかり話を聞けるために
今知ったんですが、主人の会社はJTさんの
たばこのフィルターを作っているそう

だから主人なんかすっごく会社に貢献していたのよね
入院前は40本・・今は3本だけど
最近は禁煙で、日本は売上激減だけど
中国とかは、上昇志向でフィルター付きたばこが売れてるそうで
結構会社は潤ってるらしいです
という話の元、本題に入りました


1月は2日間だけ働いて後は休職しているので
それについては2月中までは疾病特別休暇と有給で消化
3月からは、傷病休暇で対応
そして5月で退職となりました
なんかご苦労様です








今日は、2月20日の記録

2月19日(水)抗癌剤治療の2回目
朝から一人で行く、という主人
びっくり、当然私が付き添うと思っていたから
「夕方5時まで、病院にいるのは大変だから」と
結局は一人で行った
だいぶ元気になった、と思ってほっとする

帰宅した主人が、私に今日の治療費いくらしたと思う?
と聞くので、だったら万越えだろうと察し
「1万2千ぐらい?」と言ったら
「8万2千」
顎が外れた

・・・・抗がん剤じゃなく、ベクティビックスなどは
化学療法だからだよね
これがもう1回あるんだね
「パパ、車を手放そう!」
と、いう話に飛躍してしまいました
お金が~本当に底をつきそう

でももってかえった血液検査で
CEAが3.5 CA19-9も基準値以内になっていた
抗がん剤は、大腸がんに効果的と
聞いていたけど
ほんまに、素晴らしい

それを考えると、この前の手術前に
ケモしてから手術すればいいのに・・・なんて
つい愚痴ってしまいそう
後から考えなので、どうとでもいえるわけだけど
どのような選択肢をとるかは
その時の先生の判断によるから
お任せしますといったからには、従いましょう


さっそく副作用が現れて
顔には発疹が
手先のしびれは、かなり強く出てる
でも、吐き気が無いのは幸いだわ


2月20日(木)
今日は、午前ストマー外来
午後は泌尿器科とダブルで受診
でもって主人の会社から上司がやってくる
気分的に忙しい

朝のストマー外来は
スムーズに進む
専門ナースが対応してくれ、
ストマー周囲の皮膚も良好
でも、何やら変なものが浮いてる
ということで、抜糸ができてないことに

さっそくドクターが抜糸をしてくれました
入院中してくれなかったんですね
との言葉に、苦笑い
途中転棟したので、最後まで外科病棟の看護師が
対応してくれなかったため
退院時指導も中途半端に終わってしまった感ありですわ


一旦帰宅して
昨日の車の話をする
というのももうすぐ
車税金と車検と任意保険更新の
トリプルなので

息子にパパの車を下取りして
軽を買わない?
と聞くとお金がたまっていないから
無理

やはり
家を買ったのは、かなり響いてます
パパも帰宅してから
車の運転には慎重になって
一度もエンジンをかけてない

主人が運転しなければ、本当に無意味な状態ですからね
で、私からの提案で
だったらたくぼんに運転できるようにしたら?と
運転者年齢条件を26歳に引き下げ
その代り車両保険を外す
ついでに使用目的はレジャーに

約2万円少なくなりました

4月からはたくぼんもパパの車を運転できるので
すんません息子に迷惑ですが
病院受診など活用が広がるです


明日はお弁当が必要というので
セブンミールからオーダーしました
先日「ホカホカ弁当」を頼んだのですが
届かなかったそう

で、お菓子を食べて空腹をごまかしたっていう
主人も主人ですが・・
夕方5時前に「ホカホカ弁当ですが、忘れていました
すいません、今もって来たのですがどうしましょう」
主人「いらんわ!」
だって・・・

ということで、当分セブンミールお願いすることになりました















2月10日
退院してまず考えることは
主人の人口肛門パウチと
腎瘻のパックの処理
そして膀胱も癌に食われているため
かなりの頻尿
直腸は、がん部分を切除してないので
肛門より粘液がでてるし
入院中から、パッドと
紙パンツ使用となっています


やはりふた付きのペールが必要
処理用ビニール袋や消臭剤もいるよね

そしてウロパック用のポシェット
腎瘻挿入部の処置などグッズをそろえたり

パジャマがいるなあとか
まあ、小さなものから
大きなものまで、いろいろそろえました

こんな買い物も、久しぶりなんで
100均やコープさんに行って
思わず時間を忘れて買い物を楽しみました

退院後の夕食は
お好み焼き
やっぱ、関西人が1か月入院すると
ソース味に飢えてました



2月11日
あまりのボッサマンなので
散髪に行きたい、と
今までのなじみの散髪屋さんまで
歩くのは大変だろうと、バイクで二人乗り

しかし、行った先の店は休み
2件目も休み
結局商店街の方まで行ってきました

二人乗りしていて
主人の体がブレーキとともに揺れて
自分の体も支えきれないほど
力ないんや~、と思うと
情けなくてかわいそうだよ


さて、今晩は
ホワイトシチューと
パンとサラダ

翌日から私は仕事なので
主人の朝ごはんは
バナナとヨーグルト

昼ごはんは、宅配のお弁当にしようと
決めた

最初は「わたみの宅配」を考えていたけど
ここのシステムは
週5とか連続のオーダー制


病院受診があるときは不要なので
何かないか、とネットで検索してヒットしたのが
セブンミール

近くのセブンイレブンを指定して
ネットから、オーダーして
お昼頃、「クロネコヤマト」が配達してくれる
前日の10時までOKなので
意外と便利
システムはすごく良いんだけどな~

わずか500円で送料無料なんだし
お留守の場合、再送も可なんで

ただし、内容はあまり期待しない方がいいかも
味に飽きたら、また考えようと
でも、このシステムは重宝するので
あまり、わがまま言わないでねとお願いする


病院受診
退院時に渡された、2月の予約表
2月14日 外科 10時~
受診前に採血があり


2月19日 外科 9時45分~
受診前に採血あり 結果見て抗がん剤投与予定


2月20日 外科 10時~
診察 ストーマ
2月20日 泌尿器科 15時~
尿検査があり

2月24日 心内 9時

2月26日 検査 14時20分
腹部造影CT


まずは、14日
この日は雪の予報
朝8時には家を出るため、タクシーを予約
1社は雪のため走行できるかわからないので拒否されたけど
他社はOKだった

なぜこんなにも早くいかなきゃならない?って
主人は不満だけど
採血に1時間も待つ、ってドクターが言っていたから
診察前の採血をすまそう、ってならやはりこの時間だろうな

本当に、診察にも
付き添いが必要なんだよね
ってことで私の勤務は、診察日に合わせて休みが増えていく
最終的には欠勤も仕方ないと覚悟はしているけど
それが許される環境でよかったと、感謝している

来月3月の勤務をそろそろ組むので
わかる範囲での休み希望は
水曜は、抗癌治療とか検査
木曜は、病院の手術予定なので検査とか入らなそうで出勤OK
土、日も基本病院休みなんで、出勤可能
なんて予測して、勤務表をお願いしたけど
予想通りなる・・わけないね




そろそろ、主人も退職かな~
息子の扶養に入るべきか
私の扶養に入るべきか
どっちがいいんだろう
収入がいい方、っていううけれど
それだけで、決めていいのかな
だれか物知りさんがいたら教えてもらいたい
1月23日の手術からは順調に
傷は回復していってる

何が今まで苦しかった?って聞くと
1大腸ファイバー
2膀胱鏡検査
3大腸造影検査
4腎婁チューブ挿入
5ポート挿入

手術も入るけど全麻だし、
その後の疼痛緩和もあったので
苦しいとまで
行かないけど、中途半端な小手術や
検査が心身に結構負担になったそう

きっちり麻酔や疼痛緩和しないのね


それでも回復はしていって
2月にはいってくると
食事の量も増えてきた

ストマーの交換も、看護師によって教わり
主人も自分で手順を覚える

ストマーのすぐ下にある、しわをカバーするため
粘土(仮)を購入しますねって言われ
お願いする

看護師から「すぐに覚えられましたね~!!」
ってほめてくれてる
どの世代の人とと比べてかな?


2月4日(火)転棟を告げられる
消化器外科の病棟のため、手術の患者のために
部屋を開けてほしい
また、今度は抗がん剤治療のため
専門的な病棟がいいだろう、ということで
北9階フロアーに移ることになる

2月5日(水)
主人から9時前に来いって言われ
仕事よりも早いやん、といいながら病室にくる

ストマーの物品購入手順を看護師が教えるからだそう
普通に業者の0120***とケータイから電話して
3品目を注文
教わらなくてもできたよ

そして今日は転棟の日
時間が10時30分頃になると連絡あり

とにかく荷物はまとめた

案内されて行った部屋は
「たんぽぽ」と名前がついていた
寛が言ったけど、先の部屋と比べ広いのか狭いのか
わからない感じ

しかしベッドを高くすると真正面が北向きの窓
窓から北摂の山並みと町が一望できる
うん、眺めはいいな

しかしクローゼットがないのはつらい
なんとなく荷物が部屋にあふれてる


水曜日は抗がん剤治療開始日
転棟してすぐに、薬剤師から
抗がん剤の副作用について説明があった


私自身よく理解していないけど
フォルフォックス療法の説明があったのだけど
大腸がんの化学療法
改めて遺伝子検査中の薬が
適合したのでさっそく使用するということ
この薬の適合性は6割だそうで
割と高い不適合の率に入らなくてホッとした

昼1時ころからスタート
まずは副作用を抑えるための点滴から
ステロイドや吐き気止めの点滴
続いて
エルプラット(オキサリプラチン)
5-FU
ベクティビックス
と。生食のピギーを次々取り替えていく
もちろんポンプ使用
1本ずつは50CCぐらいだけど、4時間ぐらいかかったかな

そして最後に5-FUの持続点滴が24時間

容器の中におっぱいアイスみたいのが入っていて
風船がちじむ力で薬液が流れていく仕組みみたい


これらのコースを、今度は外来で行うのよね


で、今までで注意を受けた副作用は?って
聞くけどいずれもないみたい
食事も食べれているし・・
吐き気を恐れて抗がん剤使いたくない、って言っていたので
今後のことを考えると
本当によかった


2月6日
子供たちに行ってもらって私は
お見舞いはお休み


2月7日
今週中に退院としらされた、パニック
だって仕事だもん 土日

交代は難しいので何とか月曜日まで伸ばしてもらう
この前注文した人口肛門セットが届く
結構お金がかかるね

さて、高額医療券を提出して
10日にお支払だけど
気になる、木になる入院治療費

今日は、職場の新年宴会だったけど
施設医やスタッフが欠席して中園さんと2名のみ
会話もビンゴも弾まず
ただひたすら、食った!!



7日の夜から雪が降り始めて
8日は六甲他白く雪化粧

仕事でめっさ寒い中、バイクで走ってる
町は雪解け早いからな
通勤にはたすかるけど、本音は布団から出たくない

2月8日と9日は仕事
仕事上いろいろあったけど、
やはり家族と話をするのはつかれる


10日は退院日
限度額認定証を使って1月2月合わせて
52万0228円
なかなか・・痛い金額の内訳は
18日の差額ベッド代 319200円


実質医療費は201028円
食事代もすべて込で・・
日本の医療はなんてありがたいことか


さて、これ以外に費用が掛かっているのが
人口肛門パウチなどの物品

腎瘻のためのウロパックは
足に設置する分を購入 多分3000円/5個ぐらい?
予約したので値段不明

人口肛門のパウチ 
パテ
デオドラントジェル
リムーバー
など軽く諭吉が飛んでいく

退院指導とは、
次回からの外来受診の予約説明と同義語だった

すべて終わって私服に着替える時
腰かけて、と声をかけたにも関わらず
どっし~~んと転倒

慌てて手を貸して起こしたけれど
あれだけ派手な音を出しても
誰も来ない
と思うところが・・

施設根性が出来上がっているんだね


タクシー乗って無事帰宅
自宅療養に突入



覚書
今回の検査で主人は大腸がん ステージ4を
言い渡された


1月6日 
大腸ファイバー
 朝から気分不良で予定されている水薬が飲めずにいる
 午後より大腸ファイバー実施  その日のうちに腹部CT撮影
 8日に説明、10日に入院が必要

1月7日 
労災HPより電話
「腸閉塞の恐れがあるので8日に入院」

1月8日 検査の結果を聞く
 大腸ファイバーの検査結果を聞き「大腸がん」
および肝転移、右尿管転移を聞く
続いて、賀川医師紹介され、消化器外科受診
以下の説明を聞き外来検査を受け入院

「できるだけ早くに手術を行う
手術して場合によっては人口肛門
尿瘻孔造設となる
その後抗がん剤を使用し、
落ち着いたら、肝のがん切除手術となる
肝臓は複腔鏡を使ってとなる」

南9階へ入院する
916号室
入院説明書を受け取る


1月9日
915号室転室
泌尿器科受診し右腎盂カテーテル挿入 
CV挿入および絶食
薬と水はOK
マグミットと下剤服用で、苦痛いっぱい
あきらめて紙パンツ使用

1月10日
あまりの部屋のうるささに転室希望を伝える

1月11日
911号室転室
この部屋でやっと落ち着く

1月15日 
頭かゆいで、シャンプー

1月17日
仕事帰りで、お見舞いに行くと
いびきかいて寝てる
下肢を挙上
意味が分からず、看護師に聞くも?
仕方ないのお任せして帰宅
21時に主治医の木村医師から電話
検査の後にショックを起こした様子
その説明電話

1月18日
ぐったりした主人
昨日の造影検査を受けた時、苦しかった
その後は記憶が無いと・・

高熱は出るは、血圧は低いは
血管沈んで、採血で苦労するは・・

濃厚赤血球の輸血
アルブミン製剤輸血など
CV抜針されている

1月20日
師長から個室があいた、と話あり
この部屋でもいいかな、と思ったけど
この前のように主人が周りに迷惑をかける
ケースも考えて受ける

1月21日
私の職場で夜間待機呼び出しで出勤
帰宅3時

1月22日
仕事を休み、午後から病院へ

オペ前説明、とかで
専門ナースから話を聞く

熊の人形抱いていて
何かなとおもったら
人口肛門形成の解剖人形だった

お腹がかぱっとわれて、腸が外れたり

穴を通したり
かわいい熊だけど、シュールだ
説明はわかりやすかったよ

明日の手術前で
シャワーを浴びたりとか、
忙しい

そして何より
この説明 面談室で行われました
明日の手術の術式の説明

1)直腸を一部残して人工肛門
2)右腎尿管、左腎尿管、膀胱も癌に浸食されている
可能性が高いのでその部分を
切除し、腸管をもって尿路形成し
尿の瘻孔を作る
というもの

8時間以上の手術になるので
オペ室を1日確保したということを
拓也と主人ともに聞く


1月23日
手術日
寛・拓也たちは主人を送り出して
一旦帰宅、自宅待機
私はPHSを渡され、病院で待機

12時半、PHSに着信
すぐ手術場に来いと

手術場控室に行き、主治医から
がんの転移と浸潤がひどく
これ以上の手術は出血多量となり命に
危険が高いと、部長からの中止がでた
残念だが一旦中止して抗がん剤を投与後
再度手術に踏み切る、といわれる

泣き声で寛を呼び出す
何言ってるかわからん、と言われた・・




2時間ほど待って
息子たちと再度上記の説明を聞く

病室に戻った主人が今は何時かと聞く
「15時ごろ」
の答えにそうか・・・と



手術後説明書を受ける





1月24日
娘が帰宅する

手術の時間の短さの中にでも期待を見つけたい主人は
「人口肛門を作った、ということは
原発のがんは切除してるんやな?」
と少しでも希望を見出す

それとともに、私も
「今の時代に開腹手術しないと
どの程度がんが広がっているかわからないなんてこと、あるの?
これほどまで映像診断が発達している世の中で・・」
と疑問に思う



賀川先生と、病室で話す

「原発部位には手を加えていないと」
「先の説明で、かなり難しい手術になるといっていたが
主人はまだ若いし、できるだけ私たちも努力するつもりであった
しかし・・科学療法に期待を持ちましょう」と
励ましてくれる

主人は落胆して
科学療法も拒否の言葉を
私には、もう車を売れ、という

今するべきことを行っていないと
後であの時・・と思ったとき後悔するよと
治療の受け入れを勧める
すでに・・早い時期から症状自覚していて放置していた自分
今の状況を置き比べて
治療続行にうなずく



寛は、賀川医師と同じように、
説明の場でそういっていた
ではないか、と冷静にいう
本当に私も自分の都合の良いように脳内変換されていってる


1月25日
娘と彼氏さんが見舞いに行く

主人の状況が深刻で
娘はそろそろ奈良のHPの退職を
具体化してくる


1月27日
人口肛門キットが届く
食事も開始されている
ほとんど食べていない
お腹が張るから・・と
見れば確かに腹満がある
縫合不全?と疑ったけど大丈夫だった
大建中湯とガスモチンが処方されていた

お腹はホッチキスのピンで止められ
ガーゼカバーもなし

パウチの購入他、主人の会社ののことなど
色々疑問があり
ケースワーカーに相談
結果、市役所で障碍者の申請を受けることに
会社からは、8月までの限度額証明書が
送られてきた


1月29日
娘から、退職を上司に伝えたとメールあり
職場のスタッフに言うと
借家紹介するといわれ、見に行く

昭和の時代の2階建て借家
ガレージなし
家賃5万円、敷金補償金なし
その代り改装なし
実際に住むまでお金はいらない
家具とかここにおいててもいいよ

という、お友達価格


1月30日

この日は仕事休みのため
主人の保険について、話を聞いた
主人の保険は30年前に加入した分で
俗にいう、足切がある

今のように入院1日目から出ない
でもまあ、入院期間は十分カバーできていると知って
ほっとする

個室代は、半端なく高い(我が家にとっては)
しかしこの保険でいくらか補てんはできそう
もっと、庶民にやさしい個室ってのは
ないのかな~
そう、たち○病院みたく

そう思うとこの前、入院手続きカウンターで
事務が「あなたは生活保護を受けているから、大部屋です」
って言ってるのに「大部屋は嫌じゃ」
「個室、個室」とわめいていたな

1万7千円/日の個室代金が払えるなら
保護受けんな!と心の中で毒づいてしまった


娘のこと、伝える
主人も、若い二人がお金のことを考えたら
この借家の物件はおすすめと言う


少し前向きになってきた様子
ホッチキスもすべて取れている

抗がん剤も、受けることに
そして申請書類のため写真を撮る
OP後5日目 12月4日
日曜日

日曜日は唯一、民放で宝塚が見れる日、なんだよな
サンテレビ7時30分から始まる「カフェブレイク」

この日は宙組 「北翔海莉」さん
12月2日の組替え移動を聞いてからの
この出演が、最後なのね・・

と、複雑な思いで見てました


さて、今回の手術の説明がまだされていなくて
その説明を、日曜日に行いたいとY先生から申し出があった

なんでも土曜日から当直に入って、月曜日の仕事を終えて帰る
という、ハードスケジュール
だから日曜日の午後に予定を組む

主治医からの説明
主人と一緒に聞く
私のMRAとか頭部単純XPをディスプレイで見る
けしてシャーカステンじゃない

一番ドンビキしたのは単純XP
虫歯を治療した奥歯が、白く抜けているのと同じく
眼窩奥に丸く白い物が目立つ
これが治療した動脈瘤だけど、見た目
ここも虫歯?
もしくは弾丸がここに残っているのかとも
見える・・・
何も知らず見た人は、きっとびっくりしそう

そして、OP中の透視をしながら1本ずつ
瘤の形に添ってコイルを挿入されていく
写真が映し出されていました
7mm×5mmに、13本挿入する手技に感動

今後のリスクについての説明は
動脈瘤頸部からの出血だそうだけど 頻度は少ないらしい

私の場合、脳底部の脳動脈瘤ではないので
今後再発として、脳底部とかにできるのだろうか・・と心配
しかし、そういった再発はあまり例がないらしい
との先生の言葉
それが一番心配だったので、安心

あと、MRAとか検査もOKだし
先生曰く、飛行機乗るときの金属探知機もOKだそう

ともあれ、今後は1ヶ月、3ヶ月、半年と検査をして
後、異常なければもう安心とのこと

紹介してくれた医院へ情報提供を持って行くことに
そして、休業期間の診断書をお願いして
先生のお話は終わりました


入院中、定期便の様に
見舞いに来てくれる主人に
明日は退院だから、入院費用を用意して貰うべく
看護師さんに入院費用の概算を知りたいと聞く

代わって医療事務員さんが
病室に来てくれて説明をしてくれた

11月 約100万
12月 約 20万
(って言ったかな・・記憶が定かじゃない)

なんですとー!!
私の予想を遥か彼方斜め上を上回る金額にびっくり!
過去に経験が無かったばかりに
二人して、その金額に驚いてしまった

さらに、限度額適用認定書、たる代物がない事にショックを受けるけど
主人は仕方ない、とすぐ割り切る

しかし、私は心安らかになれず
その問題を解決すべく方法が
「健康保険限度額適応認定証」なんでしょうけど
それって、何ですか?

とにかく何とかしなきゃ・・
入院している身で誰に相談すれば、分かるのかんしら?

そういえば、身近にいるではありませんか
最近入院されてた人が

と言う訳で、課長さんに電話をしてききました
課長さんガ言うには
「不親切だね~ そういうことは入院前に説明してくれなきゃ
私の場合は申請用紙は、わざわざ取りに行けないからと、
パソコンでダウンロードして渡してくれたしね」

「ではその申請用紙があって、自分で記入して健康保険協会に
送らなきゃ、行けないんですね」

「そうすれば、認定カードが送ってくるから
それが必要なの」

「申請用紙は家にあるの
この用紙の意味が分からず、退院時に事務に渡せばいいのかな~
なんて思っていました!」

「至急送っても、退院には間に合いません~」
やはり・・退院の時に耳をそろえて支払わなくちゃ、いけないかしら・・」

「ま、、一度事務と相談してごらん」

主人に電話で、必要書類と現金の用意を頼んで、
明日は少し早めに来てもらうよう頼んだ

複雑な思い
私がちゃんと準備をしていなかったばかりに
迷惑をかけるな~とか思いましたです





退院日 12月5日

薬剤師さんからの服薬指導
バイアスピンを服用継続で、当院から処方
降圧剤は、今まで通り医院から処方とのこと

栄養士さんからの栄養指導
減塩食事について
私の食生活では減塩は無理、と
分かったでしょうね・・・

看護師さんから退院指導
「アンジオシール」について説明を受けました
このため、3ヶ月間は同じ所から穿刺をしないこと
だそうですが・・

そういや・・
あの時、すぐにベッドアップしてくてたし
変な時間に膝曲げてもいい、とか看護師言ってたよね
全てこの方法を取っていたから。。
とか今になって納得


私としては、OP前に聞いていたかった説明
だって・・
鼠経穿刺後の安静状況は・・
アンギオをしたときに準じる、ちゅうか
それ以上だと思っていたからさ、
OP当日のあのしんどいとき、膝も曲げてはいけないと思って
我慢していたんだよ

心の中で思わず「ムッキー!!」となってしまいました

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そうこうして、主人と息子が迎えに来てくれました
病室に医療事務の人が来られて
「限度額認定証」の交付を受けていないと伝えたら

11月分の認定証が交付できるか、健康保険協会に
問い合わせてくれる
そうしたら、病院側の了承があれば、OKとのこと

「すぐに書類を送って、認定証が届ければ
それでお支払い下さい」って言うのです

・・・?
つまり、今日の支払いはしなくて良い、っていうことですか?

金額から言えば、5万円の入院保証金のみで
帰す、って 信用なんですかね~
でも病院側の好意に甘えまして、はい退院しました
(主人のポケットに入っていた現金は、速効元の場所に戻りました)

今回、西宮にある病院の方、
本当にお世話になりました



退院当日に送った申請書
お役所仕事だから 認定証の交付は
時間がかかると思ったけど
8日には届いて、精算を済ませました

ホッとしました~


それから退院時に貰った「診療明細書」
これを見て・・
医療費が高額なのが良く分かりました
いろいろ経験させてもらいました








 
OP後3日目 12月2日

持続点滴の抜去さて、自由の身になりました
そうなるとケータイとか、スマフォ、テレビなどに興味がでてきます

そして職場のことも・・
12月にはいり、11月の出勤のことが特に気になります
10日間の休職について手続きが、なにもされていないからです

休職に対して医師の診断書は、
退院時に主治医が記入されることとなっているようで
今の時期には提出されないのです

そういったことを課長とメールで
やり取りができるようになりました


午後に主人と娘とたくぼんが来ました
娘は昨日のタカラヅカのパンフレットを持ってきてくれました
で、「おもしろかった?」って聞いたんですが・・
返事ははかばかしくありません
座席は舞台に近くて良く見えた、っていうのに

タカラヅカでは、職場のみんなへの
お土産を買ってきた、と言います
リハビリの部署のスタッフは40名ぐらいいるので
随分買った見たいです

この病院は南側が新館、私は入院しているところは旧館ですが
娘が自分の職場と比べキレイだ~って
しきりに言います
田舎ゆへ敷地はかなり広いけれど
建物自体はかなり古いみたいです

私の保清は、どうやら入浴が無理みたいなので
洗髪を許可して貰った
娘に手伝って貰う、ということで
洗髪室を借りて、娘に洗って貰う
(こんな事って、ありがたいですね~)
すごく、さっぱりしました

娘達が帰って言った後
やはり疲れが出て、ウトウトお昼寝
寝ることが一番


これから退院予定の12月5日まで
寝て、食べて、本を読んだり、疲れたら寝て
その繰り返し




OP後4日 12月3日
娘が奈良に戻り
次は12月の年末に帰省予定
1月1日は、一緒にタカラヅカにいきましょうと
チケット予約する

この日の夕食も終わりに
京都から友人が、職場から課長さん達が
偶然に同じ時間に来られました

4人部屋ですので、周囲に少し気兼ねしたんですが
(椅子もたりなくて・・)
面会者達と集まる場所は屋上に屋根を置いた
いわゆる室外

この時期外は寒いので
申し訳ないと思いつつお部屋で話しをしました

わざわざ来て頂いて
皆様感謝です!


施設長がお見舞いに来る、
と言う言葉に、緒もwずどっきり
課長さんが止めてくれてホッとしました

5日退院に向けて
今一番気になるのが
「頭痛」・・・
毎日起床時に、頭痛で目覚めるここと
日中は 時間関係なく、訪れる痛み

痛みの間隔は、間遠くなっていっているし
痛くて堪らない、こともないけど

いつまで続く?っていうのが不安なのよね

OP後2日め 12月1日になりました

やはり早朝からの頭痛があって
ロキソニンが必要

しかし午前中主治医のY先生が来られて
頭痛の訴えを伝えると

「個人差はあるものの、長くは続かないでしょう
ロキソニンで様子みましょう」

なにより嬉しい事は
「昨日の検査で、出血など異常は見られない」
ということ!

OP直後の頭痛は、当然な症状だろうけど
もしや、という不安もぬぐい去れなかったから
本当にほっとしてます

点滴はまだ続いていて、2本ぶら下がっています
点滴架台を押しながら、トイレにいくぐらいが運動ぐらい

そして今日は、娘が来る日
ここの病院は
阪神電車、今津駅と阪急電車今津駅が近くにあるところ

娘は近鉄鶴橋で阪神電車に乗り換えてここまで来ることに
お見舞い、というより、この日はタカラヅカ観劇予定なのだ!

私が行く予定だった、「オーシャンズ11」の15時公演
座席は2階3列のサブセンター

娘が代理で観劇なのだ!

昼過ぎにお腹を空かせて来た娘
見舞いのプリンを食べていきました

さて、どの様な感想を聞かせてくれるのか楽しみに
していたのです

その後主人が仕事前によってくれ、
昨日ゆたにいが、見舞いに来てくれた後
JR西宮まで歩いていったけど、途中迷った・・と
こぼしていたそう

私達の予想では、絶対タクシーを利用して
立花まで帰ったと思ったのに・・

なんとタクシーを呼ぶ方法を知らなくて
結局歩いた、そうです



術後1日目

朝6時に、電気がつく
頭痛は続いているが、まだ自制ができる
看護師が来て、VSチェックした後、バルーンを抜去していった


配膳された食事は・・
全粥、みそ汁、煮た野菜 そしてジョア

みそ汁の美味しいこと・・
おかゆの美味しいこと・・
ヤクルトジョアの美味しいこと・・
幸せ~

左のサーフローは夕べの内に抜針され、
右手甲のみ点滴になっていた

めっちゃ、じゃま
洗面さえ十分できないし・・
なぜ、左を残してくれなかったのか、不思議

と、左腕をみたら、頭骨動脈で血ガス採血されていた
でもって微妙に内出血

バケツのスキナベーブを入れたお湯をもってきてくれ
清拭をして、術衣を脱いでパジャマに着替える
足浴しようと思ったら、お湯熱すぎ!

後は点滴だけだけが続いているけど
なんだか自分が昨日、手術した風には見えない

主人が見舞いに来てくれて
昨日はOP中からこの病院に8時間近くいて
駐車料金3200円はらった、と言うのにはびっくりした!!

1時間400円か~ これも高いのは、普通なのか分からないけど
分からないうちに意外とお金を使っているな~

脳外の院長先生(かな?)の回診がありました
初めて見る方です


その後、検査によばれて頭部単純XPとMRIを撮る
主人がまた、検査?って不審がっていたけど
これもOP後必要なんで・・と納得して行ってくる
主人は、この時点で帰る

こう書けば、何にも変わらない様に見えるけど
左後頭部の痛みは続く・・・

寝て起きて、寝てと繰り返していて
夜、ゆたにいが
お見舞いに来たのでびっくり!

仕事帰りの20時近くになって来たんですが・・
いや~・・ありがとうさんです
思わずなんで?って聞いてしまいました

そいsたら、やはりのみに行こう、ってお誘いがあったらしい
けど母が入院したので、って良い口実で
行かなくてすんだ、とのこと

どちらにしても、ここまで来るには、かなり寄り道になるので
ゆたにいにしては、ご苦労さんな事です

まず、自分から一人で来るようなタイプしゃないから
主人とか、誰かと一緒に来るのがせいぜい。。だもんね

お見舞いに
プリンと飲み物を持ってきてくれました

明日は奈良から娘も来るので
もう少し元気が出るといいいな~





朝起きると、入院された方がいて、
4人部屋が満床になっていました


朝食は無く、水分のみ可
それも10時になると絶飲食

午前中は何をすることもなく
持ってきた本を読んでいました


たまたまトイレに行くと、術衣を来た人が
看護師に付き添われてエレベーターの前にいた

・・・この人の次なのか

やがて看護師がきて、点滴を始める、とのこと
私も術衣に着替えて
左腕を差し出す
すでに検査入院の時、サーフローを刺した場所を避けて
点滴を行う

結構太いや、18Gみたい
留置針が入っているのが、実感としてわかる

そして今回も剃毛して頂いて
T字帯という、紙パンツをはきました

やがて主人も来て・・
これから始まるんだ~って
思うけど、意外とパニクったりしなかったな


私も歩いて行きました
あの、アンギオを行った透視室
入る間際、振り返ると主人が私を見守っていてくれました


よっこらしょ、と台の上に乗ると
昨日、麻酔担当の看護師さんがにっこり

酸素マスクを当ててくれます
初めて酸素吸入するんですが、
無味無臭・・少し香りがついていれば~どんなんだろう?
なんて考えて、そんなアホな事あるわけないしと思った
すると麻酔医が声をかけてくれます

今から麻酔を始めます
しばらくしたら、眠たくなります

とたんに、ジワ~と左腕が痛くなりました
「左腕が痛いんですが!」と声をかけると
「血管痛ですね、今薬が入っていってます」

というと、これがあの血管痛!?
薬と共に痛みが拡散するような。。

と言うところまで、記憶に残っています



名前を呼ばれ、ポカっと目が開くと
ドアが開いて外の風景が目に入る

「ご主人様が待っていましたよ」と、
それで姿を確認したとたん、咳が出る

CT室に移されて、撮影をするので
動かないでくださいと言われ、必死で咳をこらえる

すぐ終了し、そのまま部屋に戻る

気がつけば、輸液ポンプが設置され、
右手の甲に点滴がささり
点滴架台には輸液が4本つってあった

咳がでて、なかなか止まらなくて
やっと絡まった痰がでたけど
それでも咳がでる
看護師が「吸引しましょうか」と言うも
痰が絡まったわけでもないのでお断り

最後声をかけられても、吸引はいらないと言うと
「おまえも頑固だな」と主人に言われる

この咳は、喉が痛くてでる
挿管チューブの痛み、

そういえば、全麻のOPの人にネブライザーをしてたな~と
病院時代を思い出す
吸引よりもネブライザーをして欲しい
酸素マスクを今もかけて貰っているけど・・
違うんだよな~

しばらくして、酸素マスクがはずされ、
水分可、とのことでギャッジを15~20度アップして
水を飲ませてくれた
でも、喉の痛みと咳は続く

なんかシモがおかしい?と思って聞くと
うきゃ! バルーンが留置されてる
いつの間に!  でもトイレで苦しむことはないのだ・・

咳がとまらないので看護師がいなくなって
のど飴をなめる
けっこう、良い感じ

2~3個主人からもらって、枕の下に隠しておく
看護師が寒いでしょうと電気毛布を持ってきてくれた
意外と重い!
私が落ち着いた様子なので主人が帰る19時ごろか・・

鼠経に砂のうが置かれていない野は不思議
膝を曲げるなとか注意も無かったけど
前回と同様だろうな・・と考えていた

看護師がいないのを見計らって
枕したののど飴をなめる
この頃は咳も止まって喉がいがらっぽい感じ
この飴が良い感じに、喉を癒やしてくれる


ベッドは頭部を上げたまま仰臥位で膝は伸びてる
膝が痛い
相変わらず、ベッドが硬い
電気毛布が暑いし、重い
ベッドと毛布でプレスされているようで、
おまけにギャッジ・・で安楽とは程遠い
点滴を確認にきた看護師にまず電気を切ってもらい


堪らず、NCで呼んで、ベッドをフラットして電気毛布を
取ってもらう

しばらく寝るけど
頭痛と鼠経の痛みが襲ってくる
左手で頭を、右手で鼠経を押さえると
痛みが和らぐ感じ

仰臥位もしんどいので側臥位になって
それもしんどくて・・
再びNCで痛みを訴える

錠剤を介助で服用して・・
しばらくすると、薬のためか
いつもまにか寝ていた

薬効いてる!
喉の痛みも、なにより
鼠経の痛みがなくなっている

もう時間が分からないけど
寝るに限る、と一生懸命寝る
けど・・頭痛がとれない

痛みのために眠りが浅いのか
ねむれないから、頭痛が気になってしかたないのか
12時をすぎた頃

もう、たまんない!!とNCを押す
痛み止め希望すれば
看護師が、薬を持ってきてくれた

「さっきの薬はロキソニンだったけど、
効きましたか?」

「同じ薬ですが・・飲みますか」と聞かれ
承諾

薬をのんで、しばらく寝ていたら
急にこみ上げてきて
嘔吐きが始まった

やばい、これは・・とNCを押すも
間に合わず ハンドタオルに戻してしまった

看護師がきて、がーグルベースがセットされていないので
日勤の看護師に不快感の様子
口をすすいでくれて、枕元にセットしてくれる

何がなんやら・・
本当にしんどい・・グタ・・となったけど
まだ・・これだけでなく苦痛はこれだけでなく

悪寒がしてくる

悪寒を我慢していたら・・
今度は熱が~

暑い、しんどい
ベッドの上を七転八倒、っていう感じ
でいたら・・
また吐き気が・・
今度はガーグルベースが役立った

機能の夕方から絶飲食に
ロキソニン2回、服用は さすがの私の胃も悲鳴を上げたみたい

頭痛も、穿刺通も、熱も、嘔吐も ベッドの硬さも
一度に私に追い被さってきて
生まれて初めてのこの苦痛・・・

一生の想い出になった
11月28日入院

おや、お部屋は廊下を挟んだ反対側
南側に変わりました

入院して、早速術前検査が始まりました
まず呼吸機能検査

あの管をくわえて「息を吐いて~吐いて~
はい、吸って吸って、思いっきり吸って~」
っていうやつ

そして心エコー
再度MRI 

検査室に入ったら
検査が必要な患者が来たらしく
割り込みを言ってきたらしいのですが
10分まってくれとか、とにかく
私を優先してくれました

やはり脳外となると、大変ですね
至急とか緊急とか・・一分一秒を争うのかしら

一通り検査が終われば、入浴を勧めてくれました
病院のお風呂といっても、ADL自立対象者向けで
なんら変わりはなかったです


午後からOP室勤務の看護師さんが
麻酔について説明にきてくれました

マスクをしていましたが
目元キリっとした
美人さん
シャープな感じで、さすがOP室勤務、といった雰囲気がありました

腹式呼吸とか麻酔に関するパンフでもって
指導を受けました
でもって、麻酔医まで、訪床するなんて~
まあ、顔を見に来た、ちゅうか挨拶ぐらいでしたけど

なんとなく本格的!
(まるっきり、全麻にたいして認識薄かったです)

後は明日の手術までなんもすることがなく
ゆったりお昼寝
一応、時間つぶしに本、数冊とか
ipodとか
ケータイとかスマフォとか
イーモバモバイルとか持ってきました

「源氏物語 1000年の謎」を読み始めたら
結構おもしろいの

でも源氏役が「生田斗真」写真で見る限り、
私のイメージじゃないな~って思った

今回は入院が長いので
テレビカード購入
1枚1000円で、1分1円の換算
これって高い? 普通かな?

でも21時消灯なので、
長々テレビ見る時間はないです

テレビは天上からつり下げ式
寝たまま見ることができるけど、

仰臥位のままでは辛く、
結局起きてクッション背中に当ててみる
なんら家と変わりないです

面会終了が20時
消灯が21時
という、世間から隔絶されたような生活空間

そんな面会時間終了間際、たくぼんが面会に
仕事帰りに寄ってくれました
たまたま、西宮で勤務していたそうです

デカプリンとゼリーをお土産に持ってきてくれました
時間が遅かったので、そうそうに帰りました

こうして1日目が終わり、
不安になることもなく 寝付きました



来週月曜日に再入院を決めて退院

この週は仕事に戻ると、決めて
職場に電話
25日にタカラズカに行く予定があったから

その後、書類を確認して
「退院療養指導書」なる物が出てきて・・
びっくり!
就業不可にチェックが入っていた

仕事に出るや、休むやがどれだけ迷惑かけるか
ドキドキしてしまった
しかし、もとより頭数に入れてなかったようで
返って気を遣わせて心苦しい

タカラヅカチケットは
25日を初め4枚、全て手放す

その休みの間だ
まずは住友生命保険に電話
自分の入院給付金を調べてみた
最近は入院期間が短いので、
請求して給付金が診断書料で相殺されたら、
何してるこったらですので

ざっと計算してみれば
ポチポチですかな・・・

そして高額医療に対して
受付の事務から貰った書類の1枚に
高額医療について書いてあったので
まず自分の健康保険協会に電話をする
今後の予定を伝えると書類を送ると言われ

数日して住友生命と保険協会から書類が届く
生命保険は、診断書があって、当然これはドクター記載
そして保険協会の書類は?

意味が分からず・・
そのまま保管  多分病院の事務が退院時に必要なんだろう
ぐらいに考えていたし
精算を済ませてその後高額医療費請求で返金があるだろう・・と
思っていたので、そのまま
いつもの書類置き場で保管していた

完全に勘違いをしていた私
だって・・本当に我が家から入院や手術って事がなくて、
最後は長男が 2才で麻疹で入院したぐらい?
(お産は別で)

限度額適用認定証交付申請と、医療費控除
この2つを混同していた、というか
限度額適用認定証なんて、本当に知らなかったんだよ

そして、まあ、入院費が多少高くても
それは当然支払わなくてはなわない物、と
そんな気持ちがあったのも確か。。

自分の世間知らずが、後で泣きを見るとは、
・・・・・・・・・・




果たしてこの記録は、どこまで続くのかな?
とにかく検査入院

脳血管撮影のため当日9時前に来て、とこのと
そうそうに入院手続きをする

確か差額無しの5人部屋・・だったが満室のため
急遽4人部屋
ここは4人部屋から差額必要だけど、
この病院に関して、この部屋で満足だった

入院時の問診や体重計測が終わり
血管確保のルートをとり、採血して・・
いったい何本取る?、ぐらいスピッツ多かったな
その後胸のXP、心電図など 手際よく検査が終わり
両足背動脈の触知をするんですが・・・
右足背が微弱で看護師さん達が苦労されていました

おや、剃毛されるんですか・・


そして午後からの血管造影へ
術衣に着替えて、
意外やベッドのまま透視室へ行く

ベッドから透視台へ移動して
あら、っと思ったのが 透視台のクッションの良さ!!

全然背中痛くないよ

そしてレールで移動されるモニターが4台(?)ですか?
すげ~・・
ってこれが普通?

興味あっても 透視台が肩幅きっちり、頭も固定されて
身動きできません

検査始まりが左鼠経へ局麻なんだけど 注射の痛さはあっても
その後は自制可能
カテーテルが入っていく感じは分からない

しかし、左側頭部に造影剤を注入時、は左側にフラッシュする感じが
右注入時は、右側に感じる、この不思議さ

けして痛くはないんだけど・・不思議な感じ
だって頭の中から、しゅわ~って広がる感じがするんですから

Y先生の検査技師に指示する声が聞こえるんですか
3D的に撮影をしようと努力しているんだと、
技師さん達の会話で知った

やがて検査が終わり、私のベッドが運び込まれ
4人がかりで よっこらしょとベッドに移る

そして病室へ帰る
看護師より、左鼠経の砂のうは2時間後
膝は曲げてはいけないと、
膝を曲げて動けるのは18時過ぎ
夕食を食べる頃にフリーとなる
と、説明をうける
そして検査の説明は明日13時半頃と聞く

看護師が再々VSチェックにきてくれてます
しかし、何が苦痛って、
ベッドが硬いんですよ

仰臥位で1時間寝返りもできず寝るって事が
すごい拷問
いや・・低反発マットなら別かも
しかし教科書で習った、褥瘡の好発部が実感としてわかったよ
踵骨・仙骨・頭部

やがて砂のうが取れ・・
膝を曲げることができ
パンツをはくことができ
(それまで脱がされていたの)

18時まで臥床なんだけど・・
トイレ・・・
主人に聞く、今何時?
絶望・・しばらく寝る

目が覚めて今何時?
17時
ああ・・・後1時間もあるのか

うう・・トイレ行きたい
我慢できず看護師を呼ぶと
夜勤帯の看護師になっていて
ナースマンが来た


訴えを聞くと女性に変わってくれた
で、持ってきてくれたのが和式差し込み便器

使ったこと無いよう~
実習でも経験したことないし!!

しかも失敗した場合のラバーシーツさえ持ってきていない
大丈夫か!?
恥ずかしさよりも切羽詰まった感と
失敗したらどうしようとで
やはり羞恥心もあって
何の罰ゲーム!?   めっちゃ辛かった


なんであと1時間まてなかったんや!


無事すますことできて
看護師さんが出て行った後
主人が戻ってきて・・・
ベッド上で排泄ができたら、何だってもう耐えることで来そうと
達観しちゃったよ

お約束の18時がきて
鼠経からの皮下出血もなく
点滴も抜針して、夕食も出されて
主人も明日また来ると言って帰っていく


また明日・・・



11月22日
昼過ぎに主人が来て
先生の説明を待つ
どうせ予定時間よりも遅れるだろう、ってことで待っていたけど
30分過ぎて・・
これはちょっと・・・と思い看護師に連絡

確認取ってくれた看護師が
申し訳なさそうに~言うことには

「緊急手術が入って今OP中です
2時間ほど待っていただけませんか?」
ガクっ!

「お昼を食べていないので、病院外に食事しに行っても良いですか?」
「外出には主治医の許可がいります、残念ですが」
ガクっ!

えっと・・・
中年夫婦2時間、病室で話すことは
子供の話題で終始して
話しのネタもつきると・・・気まずいな~


やっと先生からお呼び出しがあって
モニターに映し出される私の頭

動脈瘤は、7mmに成長されていました
左椎骨動脈後下小脳動脈分岐部
未破裂動脈瘤 

血管と動脈瘤のくびれは細く
未破裂脳動脈瘤に対する血管内治療
コイル塞栓術
」に適している

今回の手術についての説明で効果とリスクの説明をうけ、
その同意書を受け取る

その時主人が麻酔について聞いてくれ、
ねたままの方法がとれるか、と
それもOKと言うことで、内心ホッとする私

だってアンギオの時のカテーテルより、1.5倍太いカテーテルだの
ガイドワイヤーからコイルを何本も通すとか・・
背筋寒い、もの

はい、全麻の同意書が渡されました


手術日の決定にかんして28日か、29日で迷った
できれば早いほうがいいかな~ぐらいで
どちらでも良いのだけど

結局先生の都合で29日

なんでもこの日午前中に1件opが入っており、
引き続き午後に私が入る手はずになった

心の中で、私は
「先生、大丈夫?
疲れて手元狂わない?」

と、すごく心配になったけど、先生は
合理性を追究されまして
その後の希望は聞いてはくれそうには、無かったです


一通り説明が終わって
その後に内服薬が処方あるといわれ
出されたのは「バイアスピリン」

・・・とうとう私もバイアス服用者になったのか


主人と一旦病室に戻って
手術日の主人の仕事の調整もあって話していたとき
「おい、あの先生手術後だったためか、目が血走っていたぞ」


。。。。。。。。。。。。。。大丈夫
大丈夫、先生若いし大丈夫

と信じて帰宅しました


は~しんどい
また今度ね









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